破滅的ブランディング
トヨタや日産が中心となって長らく日本でも「高級車」が作られてきた。セルシオなどは世界が驚くレベルの快適性であったけども、中古車市場でプレミアム価格で取引されるなんてことはほとんどなかったと思う。クラウンもフーガも年式こそ古くなるけど中古車市場で100万円以下でたくさん選べる。それが古き良き時代(右肩上がりの時代)の資本主義だったのだと思う。
ネットの普及でさまざまなマーケティング手法が生まれた。その結果、高級腕時計も高級車も「記号的価値」の側面が強調され過ぎてしまったようだ。日本メーカーだと2007年の日産GT-R発売が一つの転換点だったように思う。広い駐車スペースやガレージを確保できて、維持費に年間100万円支払えるユーザーを相手にした貴族向け自動車ビジネスが誕生して注目を集めたけども、それまでのセドリック&グロリアといった日産の高級車市場は衰退の一途を辿った。
機械の追求
「若者のクルマ離れ」がずっと言われているけども、日産GT-RやホンダNSXなどの強烈な「記号的価値」を持つクルマを投入することによって、メーカー側が強制的に若者をカーライフから退場させた側面もある。300万円も払って劣等感から逃れられないカーライフは若年ユーザーにとっては地獄でしかない。結果的にGT-Rはロレックスにおけるデイトナに似た立ち位置になった。それぞれにクルマと腕時計というメカの中で、最高レベルの賞賛を得た傑作ではあるが、他のモデルへの興味は高まらない。
最高のクルマと、最高の腕時計を所有する。そこに資本主義世界におけるある種のカタルシスが存在するのはわかる。日産の901運動の集大成として生み出されたスーパースポーツや、ロレックスが60年余りに渡る販売期間を得て進化させてきたクロノグラフは「最高潮」「頂点」に到達している。今後の世界でこれを超えていく存在は現れない、ピークを越えた「転換」を人々が感じているからこそのプレミアム価格だと言える。