アウディに始まった2000年代
街中を走る60系プリウス(現行型)のデザインはよく目立つ。トヨタ車がこれほどまでに日本の路上で、その先進性をアピールしたことがあっただろうか。BEV推しの人は「テスラ・モデル3の真似」、中国のカーメディアは「BYD・ハン(漢)を移植した」と指摘するだろうが、日本の道路では圧倒的にプリウスが多いので、トヨタのデザインとして認知されていくだろう。すでにアクアにも趣向が取り入れられていて、今後はヤリスやカローラにも採用されそうだ。
1960年代からアメリカ、西ドイツ、日本でモータリゼーションが推し進められた。オイルショックの荒波を乗り越えて、1980年頃からVWゴルフ(初代)が象徴するような原色ボデーカラーが映える角張ったデザインのハッチバックが欧州や日本で広まった。VWゴルフより先にルノー・サンクがヒットしたことがオリジナルだということも広く知られているが、ドイツのVWが取り入れたことで業界のトレンドになった。日本メーカーで最初にコピーしたマツダ・ファミリア(5代目)がトヨタ・カローラの販売を追い越す偉業を達成した。
2000年前後には、アウディによる大規模なデザイン革命が吹き荒れた。1995年にアウディTTのコンセプトが発表されて話題になり、1998年には実車が発売された。さらに2001年の「アバンティッシモ」、2003年の「パイクス・ピーク・クワトロ」を実車化して、2005年には主力サルーンのアウディA6(3代目)の優雅なスタイリングがアウディ人気を決定づける。A6とその前の2台のコンセプトカーは、日産出身の日本人デザイナーが手掛けていて、セフィーロ(セダン&ワゴン)に似ているとの指摘もある。
VWグループのアウディが手掛けたことで、欧州市場で一気に存在感が増し、狙い通りに既存プレミアムブランドのメルセデス、BMWの欧州販売は減少し始めた。さらに2005年にはアウディの本拠地がある旧東ドイツ地域出身のメルケル首相が誕生し、16年にも及ぶ長期政権で、中国やロシアでの販売に恵まれた。EU市場で主導権を握り、ユーロ導入によって旧マルクよりも通貨安になることで、対米、対日輸出も有利に働いたようだ。