日本車のレベルアップ!?
ちょっと前に某カーメディアで「日本車のレベルがスッカリ上がって輸入車とほとんど違いがなくなった」と泣き言みたいなことを書いていた。カーメディアが自らの存在意義を見失っている否定できない現状を素直に白状した。とにかく雑誌が売れないらしい(面白くないのだから当然だ)。先日は別の媒体でも、某有名ドイツブランドの2019年の日本販売が10%も落ち込んだのは「日本車のレベルが年々上がってきたから」と同様のことを書いていたが、決してドイツプレミアムブランドの市場を脅かすような「高級志向」の日本車が続々と増えたという実感はまるでない。むしろ90年代の方が・・・。
変わったのは輸入車の方では!?
カーメディアに携わるプロライターであろうが、素人のクルマ好きであろうが特に関係なく、常識的に考えればわかることだと思うが、日本市場で販売されている日本メーカー車の性能は価格に応じたピンキリで、その実力を1〜10だとすると、日本市場にわざわざ運ばれている欧州メーカー車の性能はグローバル市場向けのラインナップからやや絞られていて4〜10くらいのものが正規販売されている(現行のゴルフ7には1.2L自然吸気や1.0Lターボなどがあったが日本には導入されていない)。
90年代への郷愁
欧州市場においても供給側の事情から、日本メーカーと欧州メーカーの立場が入れ変わって全く逆のことが起こるので「日本車のレベルは高い」という話になる。2000年頃の英国カーメディアの特集号を持っているが、996ターボや360モデナと並んでインテグラtypeRやS2000の評価は驚くほど高い(エンジンを考えれば当たり前だけどさ)。他の媒体の企画でも英国で市販される日本車の評価は高く、R34は当然としても、アコードやアルテッツァなどがE46やアルファ156よりも高く評価されていたりする。
日本市場はまだまだ大きい!?
ここ数年の日本にやってくる輸入ブランド車は、果敢にも価格競争へと方針を転じるブランドもあったりで、性能で2〜10くらいのモデルが日本市場にやってくるようになった。特に低スペックモデルの選択肢が増えていて、先日も欧州の小型車市場で健闘するオペル(ドイツ)が日本復帰を表明したが、今後はシュコダ(チェコ)、ダチア(ルーマニア)、キア(韓国)なども参入する可能性もある(歓迎)。確かにカーメディアが主張するように輸入ブランドと日本ブランドのレベル差は無くなりつつある・・・と言えないこともないけども、それは日本メーカー車のレベルが上がったわけではなくて、日本にやってくる輸入車のレベルが幅広くなったことで裾野が下がった結果によるものに過ぎない。
カーメディアの浄化は無理!?
そもそも「輸入車はレベルが高い・日本車はレベルが低い」というアバウトな基準を使い続けるカーメディアに無理がある。AJAJのライター達が延々と「架空のおとぎ話」か「タイアップ企画」に過ぎない「やらせレビュー」を、ノンフィクションだと言い張ってきた。カーメディア界隈には、今更に簡単な改革では到底に済ませられないくらいの「大きな欺瞞」が健在しており、クルマ離れならぬカーメディア離れは、読者の信頼を著しく損なってしまった結果に過ぎない。本人たちが納得しているように「使命」は終わったのかもしれない。ウェブでいくらでも情報が入る時代なので、ユーザーそれぞれがクルマを良く理解し、自分のイメージに合った性能(1〜10)のモデルを選べば良いだけだ。
だめだこりゃ・・・
カーメディアの仕事とは、日本市場にやってきている輸入車を、それぞれ同じカテゴリーの日本メーカー車と比較して適切にレビューすればいいわけなのだけど、YOU TUBEでの活動が有名な河口まなぶさんは、MAZDA・CX-3をメルセデスGLCと比較して「まだまだプレミアムの域には・・・」とか平気で言ってたりする。この手の批判めいたことを書くと「CX-3とGLCを比べてはいけないという法律でもあるのか!?」とかいうコメントが来る・・・(経験有り)。別の記事でBMWのディーゼルがうるさいと書いたら、今度は「名誉毀損で訴えますから、逃げないでくださいね」とか、カーメディア以上にネットもイカれているのだけどさ・・・。
世界観と知性
「バブル」というやや異質な価値観に支配された時代から20年余りが経過したが、今も特定の世代では強く「輸入ブランド信仰」は残っている。ドイツ車を崇高・理知的・美しいと解釈する姿勢は一義的に否定すべきではないし、そんな需要に大いに応えるべくカーメディアがある種のプロパガンダに走ること自体は決して悪いことではない。そして内容に関しても「歴史人」などの歴史雑誌が真田信繁や山本勘助など実在を示唆する資料が乏しい人物を描くことがあるように、たとえ自動車レビューであっても必ずしも「自然科学」の基準を元に書かれなければいけないとも思わない。要は沢村慎太朗さんのように壮大な大風呂敷を広げた結果、あとで事実と異なる点が出てきてもそのレビューの価値は損なわれないと思う。クルマを愛して考え抜く姿勢さえ示せていれば・・・。
専門家のレビューとは
この記事で指摘したい問題はその先にあって、多くの日本のクルマ好きを魅了してきた「輸入車の価値」を、十分に表現できるだけの素養を持ち合わせたライターがいないことだ。「歴史人」くらいに構想と考証を経て、ある程度の読む価値を担保したレビューが今のカーメディアには決定的に欠けている。読者に「ある種の世界観」を示せる水準に達していないことだ。せっかくの「クルマ文化」という遺産が稚拙で知性に欠けるレビューによって儚く霧散させている。AJAJよ!!お前ら専門家だろ!!もっと真剣に研究してレビュー書け!!
なぜライターとメーカーは険悪なの!?
自動車に限らずあらゆるレビューとは本質的に「ポジショントーク」に過ぎない。筆者の都合によって内容は大きく変わる。歴史書を研究する時と同じで、その辺を理解した上で読まなければいけない。非常に懐疑的な気分にさせてくれるのは、日本のカーメディア構成員の多くは日本メーカーとの関係が非常に悪いということ。NISSAN、HONDA、MAZDA、SUBARU、SUZUKI、MITSUBISHIは、ハナからAJAJなど無視している。輸入車ブランドもAJAJを利用こそすれど、全くメディアとして尊重する姿勢を見せていない。クリス=ハリスみたいな国内外の自動車メーカーから敬意を示されるようなライターってAJAJにいるのか!?
ドイツ車>日本車 ありきでは・・・
日本メーカーとカーメディアの「冷戦関係」が続き、一方的に無視されているカーメディアだけあって、昨今の自動車雑誌を多少は熱心に読んでみたところで、半世紀近くにわたって世界をリードしてきた「日本メーカーの技術的なカタルシス」などほとんど読み取ることができない(モーターファンイラストレーティッドや幾つかの良質なムックは存在するが)。日本メーカー車に限らず、多くの量販車はその気になって探せば欠点などいくつも見つかる。それなのにAJAJのライターは「〇〇がダメ!!ここが日本車と輸入車の違い!!まだまだドイツ車の背中は遠い・・・」といった定型文をやたらと使いたがる。その指摘されたポイントが決して間違っているわけではないのだが、その手の指摘は重箱の隅をつつくような総じて「木を見て森を見ず」な印象が否めない。
なぜこのクルマが作られた!?
せめて自動車レビューは「マクロ」と「ミクロ」の視点で読者に対象車の価値を伝えるべきだ。信じられないかもしれないが、AJAJライターのレビューでは「このクルマの存在意義って何!?」みたいなことを書く人すらいる。数兆円規模の売り上げを誇る日本のトップ企業がマーケットを全く無視するようなクルマを作るわけないと思うのだが・・・。岩貞るみ子という人が「シビックは不要」だと書き、国沢など多くのライターがMAZDAの経営方針に異議を唱える。まずはホンダやMAZDAの方針を的確に伝えることがカーメディアに求められる専門性じゃないのか!?とにかく「マクロ」な視点が欠けた意味不明な人が多い・・・。
絶望的な状況
メーカーが追求した理想を捉えることなく、当然に解釈することもなく、ただただ60〜70歳くらいの読者が直感した価値観へ、「寄り添って」共感することがAJAJの仕事なのかもしれない。バブルの価値観をそのまま焼き直したに過ぎない。これではネットを駆使していくらでも情報が得られる若い世代の共感など得られるわけはなく、当然ながらそこから豊かなクルマ文化など育つ余地もないと思うが・・・。
カローラとMAZDA3
カーメディアは自らのポジションを考えて建前として「日本車のレベルが上がった」と白旗を上げるが、K沢のレビューをちょっと読めば、「カローラもMAZDA3も我々世代からすれば大したクルマではない、全く興味はないです。」などと、相変わらずな世間話調のレビューでメーカーや若い世代のオーナーをアジってる。どちらも輸入車の定番VWゴルフ(258万円〜)と同じくらいの強気の価格帯になっているけど、それでも全く割高感はない。定量測定は難しいけども、与えている満足度は非常に高い(=良いクルマ)。
考えることをしない人々
クルマの良し悪しを他人の価値観に委ねたところで、自分の思い描いたカーライフには程遠いところに着地するだろう。ベストカーを読んで買うクルマを決める人がいても別に構わないけども、K沢がテキトーに書いた「ターボ化しないマツダは10年以上遅れている!!」みたいな主張を真に受けて、マツダファンのブログに意味不明なコメントをしてくる輩は勘弁してほしい。素人が多少調べて考えれば十分にわかるレベルのことを、少なくとも過去10年のカーメディアはあらゆる意味でミスリードしてきたのだから・・・。
不断の努力
言葉は悪いがAJAJというジジイの集まりが、日本の自動車文化をメチャクチャにしてしまった。窮屈な組織の中で有能な若いライターなど育つはずもない。マルクス=ガブリエルも言うし日本国憲法前文にも書かれているように「民主主義」とは絶えずブラッシュアップを必要とする。クルマ文化とそれを左右するカーメディアだったり、イニシャルDなどの影響力の強いコンテンツ媒体だったりを、それなりに批判的に考えることも必要なんだと思う。