社会的分断
「スポーツカーなんてこれからの時代には不要!!絶対要らない!!」と頭から決めつけているような人もいる。自動車メーカーの消極的な「態度」から考えるに、それは日本社会における「常識」に近い感覚なのだと思う。昭和にはスポーツカーに熱中する若者がたくさんいたけど、彼らの多くが40歳を過ぎ、50歳を過ぎ・・・すでに人生においてスポーツカーを必要としなくなっているので、それは残念ながら一過性のブームでしかなかったのかもしれない。当時の若者は終身雇用という社会レールがあって、将来の不安もなくスポーツカー趣味に没頭できたであろうし、今の価値観で判断すれば、ローンを組んだスポーツカーで夜中に峠を攻めるなんて「非常識極まりない」ものとされても仕方ない。そして日本人の大好きな「世代のモラル」がスポーツカーへの社会的嫌悪を助長しているのだろう。
スマホ VS スポーツカー
今時の若者が夢中になっているものは、果たして「昭和&平成のスポーツカー」より健全だと言い切れるだろうか!?スマホを使ったゲームやSNSの中で起こる「トレンド」には果てしない商業主義の香りしかしないのだけど、そんなことは意にも介さずに四六時中没頭していて、気がつけば可処分所得のほとんどを、通信費と自己ブランディングに使い果たしている日々の果てに一体彼らは何を悟るのだろうか!?そんな余計なお世話なことをしばしば考えてしまう。もちろん「昭和&平成のスポーツカー」という浅はかなブームに乗っかった結果、相応のリスクを取ることになった知り合いもたくさんいたし、異様な熱気に突き動かされてドライブを楽しんだかつての若者が、必ずしもそれに没頭した日々から何か価値があるものを得ていたとも思わないけどさ・・・。