孤高のブランドへ
MAZDAに対しては初代CX-5の大成功からSUVモデルばかりがラインナップされていて、某巨大メーカーを批判できる立場にはない。ショートストロークの直4自然吸気と前輪ダブルウィッシュボーンを配備した変態セダンに魅せられてMAZDAファンになった私のような人間には、2012年以降のMAZDAは物足りない。第五世代ではあれだけ盛り上がった欧州市場や中国市場でも反応はイマイチのようだ。
日本では「MAZDAは良くなった!!」の声が多くなったようだけども、それと同時に「MAZDAでなければダメ」というユーザーは減っているように思う。CX-60から再び尖り出したMAZDAだけども、CX-5以降の「個性が減ったMAZDA」からのファンというより、それ以前の「マニアックなMAZDA」が好きだったファンが、再びMAZDAに帰ってきて直6エンジンに殺到しているようだ。
マセラティの降臨
もはや日本市場ではN-BOXであっても年間に20万台しか売れない。コスト管理とステマで利益を積み上げる戦略は曲がり角を迎えている。MAZDAも市場の変化を認識し、尖ったクルマ作りへと回帰した。マセラティ・グレカーレは、MAZDAの伝統といえる欧州メーカーへの敵愾心を煽ってくれる貴重なモデルになりそうだ。レヴォンテのようなV8を載せるSUVでは全く参考にもならないけども、グレカーレやギブリはちょうど良い目標だ。
「EVシフト」の趨勢が定まらない中で、巨大資本メーカーは身動きが取りづらくなっている。さらにBEVが多く発売されることで、エンジン車に課せられるハードルがどんどん高くなっていく。エンジン車として選んでもらうためには、BEVとは異なるドライビングの味わいだったり、長距離グランドツアラーに適した重量バランスだったりがシビアに要求される。多少はキャビンやラゲッジを犠牲にしてでも「縦置きのメカ=デフAWD」は一つの答えなのかもしれない。