スカイラインのルーツ
沢村慎太朗さんはしばしば著書の中で日産のストーリーを描くけども、日産はもともと日産コンツェルン系の日産と、IHI系列の立川飛行機と中島財閥に由来する富士精密にルーツを持つプリンス自動車が1966年に合併し、その後の20年余りを日本の自動車産業の最大手企業として歩んだ。1966年にはすでにスズキ、MAZDA(東洋)、スバル(富士重工)、ホンダが四輪事業を展開しており、合併時にはすでに日産には高級サルーンのセドリック、スポーツカーのダットサン・フェアレディが、プリンス自動車にも高級サルーンのグロリア、スポーツカーのスカイラインが存在していた。
2つのハイエンドスポーツカー
合併後のモデルチェンジ(1971年)にセドリックとグロリアが共通設計となり、80年代、90年代のVIPカーブームを牽引し、1988年にはさらにボデーを拡大したシーマが設定され、社会現象とも言える人気を博した。バブル期に向かい絶好調だったセド/グロ&シーマに対して、高性能スポーツカーとして並立したフェアレディZ(初代が1969年登場)とスカイラインは、北米市場向けと国内市場向けに分けてスペシャルティカーを開発することで、同一市場でのカニバリを避けた差別化ができていたようだ。1989年にはトヨタ初代セルシオ、スバル初代レガシィツーリングワゴン、MAZDA初代ロードスターとともに「Z32フェアレディZ」と「BNR32スカイラインGT-R」が発売された。2台はシャシーも違う上に、3LのV6ツインターボ(VG30DETT)、2.6Lの直6ツインターボ(RB26DETT)とエンジンまで使い分けていた。どちらも規制を受けて280psだった。