クルマに求めるもの
韓国ドラマの人気の理由は、日本のエンターティメントにはないスケールの大きな(大げさな)シチュエーションに夢があるからとか言われる。主人公が財閥の御曹司なんてラブコメディが大人気のようだ。日本ではあまりに非現実過ぎて少女漫画の世界にだけ存在するような恋愛に、大人がキュンキュンしてしまうらしい。日本のドラマでは男は平凡な設定が多い。財閥の御曹司が毎度めちゃくちゃ可愛いヒロインに会いに来るシーンでは、常に彼の脇には愛車のマセラティが写り込んでいる。これクルマがなかったらちょっとした変質者になってしまう。つまり高級車があれば「恋愛」で、なければ「ストーカー」だと判断されてしまう・・・。
クルマとドラマ
日本のドラマではクルマを乗り回す主人公はまず見たことがない。アルファード、クラウン、86、ハリアーなどを乗り回すイケメン主人公がいてもいい!?イヤイヤそんな車を登場させる意味がさっぱりわからない。トヨタもスポンサーになってまでドラマで使ってもらわなくても日本市場は万々歳だろう。レクサスLCやLSに乗る主人公だったらどうか!?お金の問題!?日本では制作サイドのテレビ局の人々がすでにあまりクルマに特別なイメージを持たないのかもしれない。クルマに必然性はないのか!?韓国ドラマのラブコメではやたらと車内での会話のシーンが多いが・・・。
GJ乗り
CX-60を見て思ったのは、スポーティなデザインを与えられたCセグスモール群のMAZDA3やCX-30にはやはり若者のために作られたアクセラの精神が受け継がれているとともに、ラージ群は第6世代の流れを汲むスモール群とは隔絶したと言えるほどに差別化があるということ
デザインは言うに及ばずFRプラットフォームや直6エンジンへの熱意は、それこそMAZDAがかつてFRセダン、特にEセグを持っていた時代、ルーチェ、センティア、(ミレーニア)に立ち返るのではと思わせるほど
MAZDAが明言することはないでしょうし、本音は分かりませんが、これがアマティの再起であると言ってももはや誰も冗談だとは思わないでしょう
余談ですが、ようやく発売されたグランツーリスモ7のパッケージデザインがポルシェとMAZDAであり、自動車の歴史を描いたオープニングMVのラストが両者のレースで終わるのは、山内一典氏はやはり分かっているなと思わずにはいられませんでした