CX-5とCX-60
CX-5への愛着が日に日に高まっている中で、とんでもないクルマが出てきてしまった。実際のところCX-5で何も不満を感じない。エコモードのままで日産リーフのゼロ発進に余裕でついていける。日本の道路は200psもあれば十分過ぎる。確かにレクサスISの自然吸気6気筒のように、エンジンを唸らせることなくウルトラスムーズに加速できることは素晴らしいわけで、これこそが高級車を定義するものだ。しかし加速の鋭いBEVの登場でその価値は揺らいでいる。
最後の戦い
レクサスがオールBEVになるらしい。V8のレクサスLCやIS-F、V6のレクサスISで守り続けてきたものを放り出してしまった。「BEVを選ばない日本市場は終わっている」くらいに考えている人が一定数いるからなのだろう。しかしまだまだ時代の浅い「21世紀型」BEVに移動手段以上の付加価値を見出すのも困難かもしれない。CX-60にはその「知性」によって購入意欲が刺激されたが、BEVにはまだ同様のことを感じたことはない。2030年の韓国ドラマのイケメン主人公が乗るのはマセラティなのか?テスラなのか?
GJ乗り
CX-60を見て思ったのは、スポーティなデザインを与えられたCセグスモール群のMAZDA3やCX-30にはやはり若者のために作られたアクセラの精神が受け継がれているとともに、ラージ群は第6世代の流れを汲むスモール群とは隔絶したと言えるほどに差別化があるということ
デザインは言うに及ばずFRプラットフォームや直6エンジンへの熱意は、それこそMAZDAがかつてFRセダン、特にEセグを持っていた時代、ルーチェ、センティア、(ミレーニア)に立ち返るのではと思わせるほど
MAZDAが明言することはないでしょうし、本音は分かりませんが、これがアマティの再起であると言ってももはや誰も冗談だとは思わないでしょう
余談ですが、ようやく発売されたグランツーリスモ7のパッケージデザインがポルシェとMAZDAであり、自動車の歴史を描いたオープニングMVのラストが両者のレースで終わるのは、山内一典氏はやはり分かっているなと思わずにはいられませんでした