エゴ丸出し
現行MAZDA3は、先代モデルと比べて全高だけを下げて、全長、全幅は拡大していて、寸法からもワイド&ローなスポーツカー的なスタイリングを狙っている。見た目だけでなく走りのキャラクターも先代とは全く変わった。見た目と走りに相関すら感じる。高級車の乗り味を再現しようとした先代アクセラに対して、MAZDA3はゴリゴリとした乗り味をあえて隠そうともしていない。数世代前のBMW3シリーズMスポ(E90系)を思い出させる、あのゴリゴリ感が程度の差こそあれスポーティな乗り味を演出している。
おしゃべりが大好きなMAZDAの開発陣であっても、口が裂けても言えないことだろうけど、現行MAZDA3で目指したところは、おそらく90年代から2000年代にかけての、BMWがE46系3シリーズの大成功がドライビングカーの正義を示し、イタリアの雄アルファロメオがアルファ156で真っ向から宣戦布告した、そんな欧州メーカー主導の時代へのオマージュなのだろう。日本メーカーとしてのプライドはもちろんあるけど、やっぱり欧州が主役の時代が忘れられないようだ。
必然の設計
先代アクセラのように高級車に近づくためにボデーを拡大して車重を増やし続ければ、ガソリンエンジン車にとっては、加速、減速、ハンドリングなどあらゆる運動性能は鈍化し、燃費も大幅に悪化していく。誰の目にも先代までの方針によるCセグ車は行き詰まりを迎えていた。他のブレークスルーが必要だ。そして最後までガソリンエンジンで戦う気概を見せるMAZDAにとっては、他社の動向など関係なく、ガソリンエンジンが歓迎されるクルマ作りを現実的に追い求める必要があった。
ロータリーエンジンの生き残るフィールドを模索し続け、21世紀まで存続させたMAZDAだからこそ、同じように切実にガソリンエンジンの最適化を追い求めた。さまざまな苦悩の果てに結晶化したモデルが、このMAZDA3だと言われたら、大いに納得できる。ロードスターのようなピュアスポーツカーは一定の加速性能が求められるので、今後の見通しはBEVが有力だろう。結論として高級車でもピュアスポーツカーでもない「走りのスモールカー」=Cセグこそがガソリンエンジンの約束の地だった。