FF車の味わい
現行のFF車でも、ちょっと粗暴なアクセル操作をするとトルクステアでステアリングにクセのある動きが生じることがある。もちろん自動車メーカーも不慮の事故に備えて、車重に応じてトルク開度を調整するなどの厳格な基準を持って作っているようで、最軽量クラスとなる700kg前後の低ルーフ軽自動車(アルト、ミライース)にはターボ設定はされなくなったし、軽い軽自動車の自然吸気エンジンは、いくら踏んでもジワジワと小出しに出力が上がる設定になっている。
1950年代60年代にアレックス=イシゴニスやダンテ=ジアコーサが、FRやRRに代わる新世代の刺激的な走りの設計としてFFが改良されてきた歴史がある。今でも日本でたくさん走っているMINIとFIAT500がFF車普及前のプロローグとして誕生した歴史を持ち、その走りの魅力を今に伝えている。残念なことだけど親会社のBMWによるとMINIのエンジン車はまもなく廃止になり、フィアット500もBEVモデルの発売が始まっている。
FF時代を呼び起こす
1959年のMINIの前身のBMCで開発された横置きFFの小型車が、世界の自動車産業を揺り動かし、1965年には日本メーカーでの採用が始まった。「日本初のFF車」で検索すると1955年発売のスズキの「スズライトSS」が出てくる。正確には日本初の横置きFF車ということだそうで、その前年の1954年には愛知県にあった中野自動車が「オートサンダル」なる縦置きFF車を発売した記録がある。
オートサンダル、スズライトSSの発売後、10年ほどの沈黙の期間にアレック=イシゴニスとダンテ=ジアコーサがFF車の技術的基盤を作ったことになる。ジアコーサの簡易で高効率なFFシステム(ジアコーサ式)は、ホンダ・シビックとVWゴルフを産み落とした。オイルショックの世界情勢の後押しもあって、ホンダはアメリカを席巻し幾多の現地メーカーを廃業に追い込み、VWも欧州の大衆車市場において完全に一人勝ち状態になった。