アストンマーティンのようだ
独立系総合自動車メーカーがずっと昔に消滅したイギリスの人々は、クルマに無関心というわけではない。今でもアストンマーティンの歴史を綴るような自動車雑誌が世界中に読者を抱えている。1948年のDB1でから復活した戦後のアストンマーティンは、最高のデザインと最高の性能を追求してきた。イギリス人にとってはアストンマーティンの歴史こそがクルマなのだろう。
ロードスター、MAZDA2、MAZDA3は、3000万円以上するアストンマーティンとは比べるべくもない。しかし1950年代、1960年代の段階では300ps以下の出力で、今よりは小振りなボデーに繊細なデザインを作り込んだ歴代アストンマーティンへの憧れを持って、MAZDA開発陣がこの3車種のスペックやサイズなどの商品企画を決めているのではないか?と感じるのだ・・・。
日本生産の誇り
イギリスにはトヨタのような大味な大衆車を量産する総合自動車メーカーもないし、ZARA、GAP、UNIQLOのようなファストファッションもない。やっと廃棄衣類の膨大な環境負荷で世界の潮流は変わりつつあるが、UNIQLOが世界で急拡大しようが、英国アパレルブランドのバーバリー、ヴィヴィアンウエストウッド、ポール=スミス、ダンヒル、キャサリン=ハムネットはそれぞれに気品を保ち続けた。
ちょっと話が飛躍してしまったが、MAZDAのMTロードカー3車種は、「グローバリゼーション」なるものが、押し流してしまった、人々を熱狂させるような設計を守り続けている。しかもMAZDAは北米、欧州、中国、日本などメルセデスやBMWと全く同等の幅広い販路を持っている。大味な乗り味の日本専売CVT車が中心となる他の日本メーカーとは異なり、日産、ホンダ、ステランティスが業績悪化で苦しむ中でMAZDAが支持される理由は「反グローバリズム」の精神だろう。