退屈なトヨタ
2000年頃に公開された傑作映画「アメリカン・ビューティ」の中で、トヨタ・カムリが「最も平凡なクルマ」として挙げられている。クリティカルでシニカルなギャグセンスの塊であり、全編を通じて「アメリカ社会の退屈さ」を語り尽くしたこの映画の中で槍玉に上がってしまった。「退屈なトヨタ車を買ってしまう退屈なアメリカ人」が、前置きなしにブラックジョークとして伝わってしまう。アメリカ人にも日本人にも・・・。
2009年に全米でトヨタバッシングが始まる。もしかしたらレクサスESやプリウスのブレーキ問題はきっかけに過ぎず、アメリカ人がトヨタを買う現実への不満が、この映画でアジられ形成されたポピュリズムが暴発したのかもしれない。結果的にトヨタの「製造物責任」を決定的に咎めるような当局の判断はなかった。1980年代のアウディの失敗から学んだトヨタは連邦議会の公聴会で素直に謝罪。就任して間もない豊田章男社長はその対応の手際の良さで脚光を浴びた。
雪辱を誓った
1980年代の貿易摩擦とは別に、多国籍企業トヨタがアメリカのクルマ文化と不本意な衝突を起こしていることを、社長自らも実感するところがあったようだ。アイデンティティの異なるトヨタが北米市場で多数派になることで醸造される「違和感」は十分に想像できる。ラーダ(アフトワズ)、タタ、MAZDAが日本市場で多数派になった感じだろうか。そこで「(アメリカを感動させるような)良いクルマを作りましょう・・・リメンバー・アメリカン・ビューティ」なのかも。
2009~2010年のトヨタバッシングから12年余りが経過した。その間にリーマンショックからの回帰、利益率の向上などさまざまな経営課題をクリアしつつ、北米市場への「リベンジ」を誓ってレクサスRC、LCを投入してきた。LC投入前の段階で社長自らが「RC-F」はお気に入りの1台だと述べている。自然吸気V8という北米的なユニットを使い続けるのもアメリカ社会へのロイヤリティーなのかもしれない。