ブログに書きたくなる話
クルマのブログを書いていると、しばしばメーカー同士の「相剋」みたいなものを勝手に考えてしまいがちだ。結局は営利企業なのだから「適法」で「大きな利益」を出すことにしか興味はない。どんなにクルマ好きにバカにされようとも、利益を出しやすいクルマに資本の集中投下するのは当たり前のことだ。他社と喧嘩している場合ではない。そんな資本主義のルールは分かっているが、それでも開発担当者の「エゴ」は存在するし、感じたことを書き残したいと思う。
資本主義ルールの権化・王者だと思われていたトヨタが、「クラウン」という車名にこだわり、北米向けモデルを作る構図がちょっと面白い。クラウン・クロスオーバーのデザインは非常にオリジナリティを感じるのだけど、それでもルーツを邪推するならば、シボレーのエクイノックスEVやブレイザーに近い造形だし、テーマカラーの斬新な「ゴールド&ブラック2トーン」配色は、シボレー・カマロの「ZL1」という最もスポーティなグレードのテーマカラーに符号する。
アメリカが失った自信
「プリウスの青写真」をテスラに先回りされてしまった。もちろんトヨタの漠然としたエコイメージを、予想以上のクオリティーでスピーディーに具現化させたテスラの実行力こそが素晴らしいのは間違いない。しかし肥大化した「テスラ」のイメージが世界中のメーカーを次々と飲み込んでいる。クライスラーの「エアフローコンセプト」なるEV試作モデルなど、ほぼほぼテスラのコピーにしか見えない。
テスラ躍進の前に、アメリカ車のポリシーが溶けていくようだ。マスタング、チェレンジャー、チャージャーなどのマッスルカーや、リンカーン・コンチネンタル、さらに遡るとスチュードベーカー(インディアナ)、ナッシュ(ウィスコンシン)、パッカード(ミシガン)、ハドソン(ミシガン)、。カイザー(ミシガン)、ポンティアック(ミシガン)といった高級車のルーツを受け継ぐことに、北米3大メーカーは興味を無くしてしまったようだ。