インプレッサのツボというよりもスバルのツボといってもいいのかもしれないです。良くも悪くもクルマが多様化してきていて、1台でどんな役割でも大満足にこなせる!っていうクルマはほとんど無くなってきました。あくまで「大満足」のレベルの話です。「早い話が、インプレッサならこなせるってことか?」・・・いやいやとんでもない。このクルマはなんの飛び道具も無いですし、下手すると「どう使っていいかわからない!!!」といった軽自動車の上位互換的という非常に地味な存在にもなりかねない。実際にそう見做している人も多いのでは?
アクセラもオーリスもそもそもゴルフにも同じ事が言えますが、Cセグは商用車的な役割しかない!!それこそリースとかカーシェアで使い倒すのが賢いやり方なのかなーという気になります。わざわざ所有してランニングコストをフルに払い続ける価値なんてそもそもないのかもしれません。Cセグ車じゃ家族旅行も窮屈ですし、デートにわざわざ乗っていくクルマでもないです(だって軽自動車と同じだもん)。せいぜい無意味なパトロールと買い物の用を足せるくらい。親孝行もできません。両親を後部座席に押し込んでみてもなー。
V-CAR(VIPカーです)好きはほぼ100%マザコンだと思っているんですけど、低コストだけど上質な乗り味の中古のマジェスタやシーマは、母親からみればかなり納得できるクルマ選びだと思いますね。反対に最新のスポーツカーなんぞに乗るバカ息子の周囲が見えていない様子にはガッカリするのかなー。S660もロードスターも2台以上所有する前提での設計なんですね。自動車メーカーの脳裏には金持ちの顧客しか映ってないのかな。それに対して86/BRZはギリギリで1台持ちの若者も視野の隅っこに入っていると思います。ただしあの後部座席に押込められる両親は不憫ですね・・・オヤジがクラウンでも転がしていればいいですけど。
昔と比べてクルマ選びに「究極の選択」の要素が増えてきたように感じます。20年前ならば適当にスポーツセダンを選んでおけばそれで良かった。セド/グロターボ、アリスト、ディアマンテがあって、よりスポーティなスカイライン、ランエボ。小さくても上級感のあるカリーナ、プリメーラ。最上級ならセルシオ、シーマ・・・。これらが150~600万円程度の範囲に分布していたってのがスゴいですね。
それから20年経ちましたが、スポーツカーはよりアトラクティブになって、セダンはよりラグジュアリーになって、HVの登場で経済性という無視できない価値観が生まれた結果・・・とてもじゃないけど1台で万能というクルマは無くなったといっていいと思います。マザコンはV-CAR、親不孝な輩はスポーツカー、そしてクルマに興味が無いヤツが選ぶのがそれ以外の有象無象。広告で見て、勝手に妄想して、勝手に満足して何も考えずに購入し、すぐにポンコツだと気づく(だって万能なんてありえないから)。プレミアムブランドだから信頼して買ったのに評論家からボロクソにディスられるなんてー・・・とストレスや不信感が募る展開です。
あーもうバカバカしい。やっぱりクルマなんてオワコンだ。クルマ好きもメーカーも評論家もバカばっかりだし・・・と憂鬱な毎日を過ごしていた週末に。ふと早起きして暗いうちからバイパスを駆け抜けて、晩夏の荒々しい息吹がする林道へ。そこは物の怪でも潜んでいそうな密度。これはもはやジャングル。狂ったように蔓を延ばす樹木と草が織りなす緑のトンネルの中を朝日を浴びながらウインドウ全開で走れば、もうマザコンとか親不孝とかどうでもよくなる不思議な感覚に包まれて・・・ふと「やっぱりクルマっていいな」
最近のスバルはアメリカ市場の影響からか、マザコンなレガシィアウトバックや、親不孝なBRZなどもラインナップされていますが、中核を成す「インプレッサ一族」は、強烈な洗脳が施された『邪教徒』によって支持されたオカルトなクルマだと思ってました。なぜ彼らはインプレッサを愛するのか?ボクサー、縦置きだから何だって?結局は『中島飛の威光』に導かれた盲目の徒じゃねーの?とか思ったんですけども、緑のトンネルに日本の原風景を見た時に、そこですれ違ったクルマの半数以上がスバルだったりするんですよ・・・邪教徒はクルマの価値を知っている!?
V-CARだ!スポーツカーだ!と「クルマ自体で自己完結」するスタイルだけがカーライフってのはとても近視眼的だなーと。誤解を恐れずに言ってしまうと、マセラティだのマクラーレンだの言う前にスバルを理解すべきだー!!ボクサー自然吸気だけがとりあえずラインナップされた新型インプレッサの目指すところも、やはり究極の「自然体」。親孝行とか考える前にまずはインプレッサでまだ見ぬ景色を見てこいよ!!そのためにスバルは究極のGT性能(長距離適正ですね)を追求しますよ!!ってことなんでしょうね。
↓邪教徒の聖典!?