情報化のモンスター
GT-Rやコスモグラフ・デイトナを超える「至高のメカ」が生まれてくることの期待感はかなり低い。これはモーツアルトやベートーベンを超える作曲家が出てくるか?と同じレベルの話かもしれない。少なからず独善的で勝手な解釈だけれども、「頂点」に到達してしまったゆえに、日産=GT-R、ロレックス=デイトナという強烈なイメージが付いてしまった。本体価格と維持費は特別であり、完全にユーザーを選ぶアイコンになっている。
「誰でも買えるブランドには興味がない」という意見を否定する気はない。GT-Rもデイトナも、それを所有することによる自己肯定感や仕事へのモチベーションなど人生におけるメリットはいくらでもあるだろう。これが資本主義社会でのわかりやすいゴールだとすれば、AT限定免許を取って最初のクルマにGT-Rを、社会人になって最初の腕時計にデイトナを選んでおけば、もう他のクルマや腕時計に目移りする必要もないのかもしれない。
2010年代が生んだもの
20年前はまだネットが十分に普及しておらず、経験の少ない若者がクルマや時計の「記号的価値」を理解するのはむずかしかった。現在アラフォー・アラフィフの人が、20年若く生まれていたら、社会人の最初のタイミングで迷うことなくこの2つの至高のアイテムを手に入れたかもしれない。いずれにせよGT-Rが発売されたのは2007年のことだし、ロレックスがデイトナだけのブランドに変貌したのも2010年以降の話だ。
ロジェ・デュブイ、フランクミューラー、ウブロなどデザイン性の高い新興ブランドが次々と現れる中で、ロレックス、オメガ、ブライトリングなどの老舗は、クロノグラフに集中することでブランド価値を維持した。日本が震災とデフレに苦しんだ2010年代だけれども、世界の新興国の所得は上がり続け、「スーパースポーツ」「クロノグラフ」「タワマン」を「三種の神器」とする国や地域は多くなった。。資本主義にはわかりやすい成功者像が必要なのだろう。