ダサい大人
MAZDA・CX-5の「挑戦」によって、今まで「殿様商売」でやや硬直気味だった日本市場のプレミアムブランドが大きく変わりつつあるようだ。350万円でGLCやX3を手にしたユーザーは、もはや自分自身を「資本主義の奴隷」だと卑下して見る必要はないだろう。必要な機能を備えたクルマを適正価格で買うことができたって話だ。ごくごく個人的な意見なのかもしれないが、機能性が伴っていないプレミア価格のモデルや、とりあえず走るってだけで大きく妥協した性能の低価格モデル(中古のプレミアムカーなど)にドヤ顔で乗っている大人を、若い世代は限りなくダサいと思っている。間違っても「このアウディQ3 は600万円もした!!」なんて発言はしない方が身のためだ。
MAZDAを買う意味
CX-5さえいなければ、レクサスRX、メルセデスGLC、BMW・X3、アウディQ5、ボルボXC40などは現状の日本価格でもそれなりのステータスを保つことができたかもしれない。昔に比べてMAZDAの価格はだいぶ上がったと文句を言っている人も多いみたいだけど、フラッグシップラインとなるCX-8、CX-5、MAZDA6、ロードスターRFのユーザーは果たして「資本主義の奴隷」だろうか!?無意味な「記号的価値」を追求しているだろうか!?それぞれに自分に必要な「性能」を見定めて適正なモデルを選んでいるに過ぎない。その「脱資本主義」な感覚が、この上なく気持ち良くて癖になる。