カーメディア不要の世界
一部のカーメディアが、MAZDAに対する「差別意識」だったり「嫌悪」を示すかどうかが問題ではなく、MAZDAのクルマを真っ当に評価し、適切に表現できる能力を持ち合わせているかどうかもまた問題ではない。MAZDAの「自由なクルマ作り」とわずか2%のMAZDAに共感したユーザーだけで完結する世界で「一定レベルの情報」が共有されればそれでMAZDAのビジネスモデルは成立するのだ。そこにK沢やAJAJユーチューバーのK口などを介在させる意味は無く、MAZDAとそのクルマ作りに共感するユーザーの双方にとって何の得にもならない。彼らがMAZDAに関するレビューを書いたところで喜ぶのは筋金入りのMAZDAアンチだけだろう。
MAZDAの言語化
延岡健太郎著「アート思考のものづくり」(日本経済新聞出版)は、一見MAZDA本には見えないが、中身はズッシリのMAZDA賛美が詰まっている。タイトルにもある通り「トヨタなどがやっているのはデザインであり、MAZDAがやっているのはアート!!全然レベルが違う」と大風呂敷を広げている。MAZDAのデザインはなんかいいなと感じているけど、いまいち説明ができないもどかしいところに、ちょっどよい「言語化」がされていて、そこそこ納得して頂けるのではないだろうか!?