クルマ選びの問題
トヨタ、ホンダ、日産の違いもよくわからない連中が、「日本車はみんな同じ」とか言ってる。ついでにドイツメーカーの違いなんてわかろうともしないから「ドイツ御三家」を平気で使っている。ちょっと悪意がある言い方だろうけど、彼らにとっては日本車もドイツ車もみんな同じで違いなんかわからない。大事なことは「私はドイツ車を好む人間です」という自身のポジションが他の人に伝われば満足なのかもしれない。六本木、表参道の商業施設や二子玉川のデパート駐車場の半数以上は確かにドイツ車が占めている。周囲の目を気にすることなく、そう言った場所に乗りつけられるクルマ全般を指して「ドイツ御三家」と言ってしまうのかもしれない。「性能」よりも「属性」でクルマを語ってしまっている。
全てがダサい・・・
「ドイツ御三家」という言葉そのものが、クルマの違いを考えずにモノを言っている「物的証拠」として、旧世代の思考を示してしまっている。とんでもなく低次元な話だけども、50歳より上の世代では「ドイツ車」という記号に価値を見出していて、彼らの思考の中では「日本車」はほぼほぼ下位の概念でしかなかった。絶対に超えられない壁だと思われたが、「レクサス」あるいは「アルファード」は簡単にブレークスルーした。2010年頃に比べれば確実に「レクサス」という記号に魅了され、これに「二子玉デパート」でも通用する価値を認める50歳以上の「思考停止世代」は増えてきている。50歳未満の世代からみれば、「ドイツ車派」とか「レクサス派」とかを自身の形容詞に使う感覚はほぼほぼ理解できない。失礼だけども、バカじゃねーの!?としか思わない。