自虐
マセラティが東京を走っていれば、雑然とした風景とのアンバランスさで、しばしば変に目立ってしまう。それに対してイタリアの山と海、歴史的な建造物ばかりで構成された趣深い街の風景の中では、そんな高級車もわりと馴染んで見える。イタリアの高級車はイタリアの景色が持つ圧倒的なスペックの高さによって、その過剰なまでの演出が許されているとも言える。憧れのままに中古のマセラティを賃貸アパート隣の月極駐車場に置いてみたところで、建物にデザインの概念が希薄な集合住宅ばかりが並ぶ日本の日常風景では、クルマの優雅さとバランスがとれるはずもない。そんな殺風景に隣人もこのクルマの所有者はどれだけセンスが悪いんだ!?と訝しがるだろう。
自由とともにバカにされるリスクもある
「個人主義」の時代だから、持ち家・賃貸物件に関わらず好きなクルマに乗ればいい。法に触れることもなく、自動車税も遅滞なく納めているならば、他人にどうこう言われる筋合いはない。自分で全責任を負うのだから。隣人からどう思われているかとクヨクヨと気にするくらいならクルマ趣味なんてやめてしまえ!!・・・で全てが完結するならいいですけど。輸入車もピンキリなわけで、本人はエンスー気取りでも、微妙なスペックの輸入車を乗り回して、周囲から「コイツは何がしたいの!?」って軽くバカにされてるのは避けたい。