MAZDAらしさを求めて
2012年にB系シャシーを発展させたスカイアクティブ・シャシーに主力モデルを集約させて、スバルのような単一シャシーのブランドへと経営のスリム化が図られた。しかし細々と生産が続くロードスターだけでは、MAZDAの「個性・アイデンティティ」は十分に維持できないと考えたのか、その数年後には廃止したG系シャシーに代わる上位モデル向けシャシーの開発を公表し、現在CX-60などの新型モデルで実用化されている。
カペラからアテンザへと受け継がれたG系シャシーは、2002年に再起をかけたMAZDAの意欲的なGGシャシーの登場で、冒頭のように欧州市場や中国市場で大ブレークした。2000年代にはドイツメーカーを抑えて、トヨタのクラウンマジェスタのシャシーと共に、このGG / GHシャシーが、中国第一汽車のハイエンドブランド「紅旗」のライセンスモデルに選ばれた。ちなみにVWシャシーはセカンドブランドの「奔騰」に使われた。
激動のブランド
GGアテンザ(初代)、GHアテンザ(2代目)の設計は、1980年代以降に欧州と北米でセンセーションを巻き起こしたホンダの設計だったり、1990年代後半に欧州に彗星の如く現れたアルファ156の戦略を手本にしたことは容易に想像できる。他にも同時期の横置きエンジンのスポーツセダンとしてプジョー407が挙げられる。欧州のDセグ・スポーツセダンブームにMAZDAが参入し、大きな成功を勝ち取ったことで見事にブランドの命脈を保った。
2016年に発売されたフェルディナント=ヤマグチさんの「仕事がうまくいく7つの法則・マツダのクルマはなぜ売れる?」のインタビューの中に、G系シャシーを手放す遺恨と、G系に代わる新しいFRシャシーが生まれる原動力となる首脳陣の思いが綴られている。2010年代のMAZDAの成功の中で、チーフデザイナーの前田育男さんとエンジン技術者の人見光夫さんが様々なメディアに露出して有名になったが、この本を読むと直6&FRシャシーへとMAZDAを導いたのは、元副社長の藤原清志さんと足回りの技術者である虫谷泰典さんであることがわかる。