MAZDAが作りたいもの
ヤマグチさんの本のインタビューで虫谷さんは強烈な持論を展開している。メルセデスもBMWもW124、E39以降は、それを超える「ドライビングの感性に訴える傑作モデル」を作れていないと断言している。W124(1985年)、E39(1996年)は遠い過去なので、BMWが日本市場で最も売れた2007年頃を頂点に、ドイツ車を全力で絶賛していたカーメディアにとっては、メンツを潰されるような受け入れ難い主張である。虫谷さんと同じことを言っているライターも少なからずいるが、いずれも非AJAJ組の福野礼一郎さん、沢村慎太朗さんだ。
虫谷さんのインタビューがあった2016年頃は、VWのディーゼル不正が発覚し、日本のカーメディアにおいてもVWからお金を貰ってライバルメーカーを悪く書く仕事が横行していたことが、内部告発によってバレた時期に重なる。あれだけ高く評価されてきたドイツ車の中身がデタラメだったことで、日本市場では顕著なドイツ車離れが起こった。そして信頼を失ったカーメディアも読者から見放され、多くの雑誌媒体が休刊に追い込まれ、ユーチューブの時代に移り変わっていった。
夢の続き
ヤマグチさんと結託した藤原さんや虫谷さんのグループは、ドイツメーカーが失ってしまった「走りと感性」を、MAZDAで取り戻そうと考えたのだろう。ほぼ描かれた青写真通りだったかは不明だけど、CX-60やCX-90が完成し受け入れられた。同時期に発売されたレクサスNXやクラウンスポーツとは、設計でわかりやすく差別化されている上、目指す地点がトヨタとMAZDAでは最初から違っていたことは様々なところから察せられる。
W124やE39の領域に迫るため、2002年に投入されたGGアテンザは、2代目と合わせて10年で打ち切りとなった。ヤマグチさんの本の中で藤原さんがとても心残りだったと想いを吐露している。GJアテンザ(現行MAZDA6)はデザインとディーゼルエンジンの評判は良かったが、藤原さんや虫谷さんにとっては作りたいクルマではなかった様子が伝わってくる。GJアテンザは車体の大型化である種のファンを獲得したけども、GGやGHとの断絶された関係により、MAZDAらしいハンドリングという仕上がりではなかった。